島田空襲から80年 静岡・島田市博物館の学芸員が戦争と平和をテーマにした企画展を実施 父親はイラン・イラク戦争の体験者

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 シリーズでお送りしている「戦後80年~体験をつなぐ~」。長崎原爆の模擬爆弾が静岡県島田市に投下されて、あすで80年です。こうした戦争の記憶を未来に紡ごうとする学芸員を取材しました。

●岩崎アイルトン望さん:
「この戦争という歴史を次の世代につないでいくバトンにならなくてはいけない」

 島田市博物館の学芸員、岩崎アイルトン望(のぞみ)さん 28歳。4年前、埼玉から島田市に移住してきました。

●岩崎アイルトン望さん:
「もともと別の仕事をしていたが大学生のときから学芸員の仕事に興味があって、ここ島田市博物館が募集をかけていたので応募した。戦争の歴史が身近なものだというのを島田市民に知っていただきたい」

 20年前に病気で亡くなった岩崎さんの父親はイラン人で、イラン・イラク戦争の体験者でした。父親の親族は、今も戦禍への不安が続く首都・テヘランにいます。

●岩崎アイルトン望さん:
「すぐ向こうにいるいとこに連絡して大丈夫と聞いたら、状況はよくないと返事がきた。戦後という言葉に安心してはいけないと思った」

 幼い頃から戦争が身近な存在だった岩崎さん。日本の戦後80年となる節目の年に”特別な”企画展を実現させました。

●岩崎アイルトン望さん:
「昭和20年7月26日に現在の島田市扇町に投下されたパンプキン爆弾の破片。爆心地から約1.1キロ離れた場所までこの9.4キロの破片が飛んできたと記録されている」

 米軍が長崎原爆の投下訓練として日本各地に落とした「パンプキン爆弾」。島田市ではおよそ50人が亡くなり、重軽傷者は150人ほど。400軒以上の家屋が一瞬にして崩壊しました。

●岩崎アイルトン望さん:
「今回初めてずっとやりたかった戦争と平和をテーマにした企画展をやらせてもらって、亡くなった方が多くいて、その方々が思い描いた平和が今の未来と知ってほしい」

●栗田麻理アナウンサー:
「当時の被害の大きさを物語る展示物の数々。岩崎さんが熱心に調べ、所有者と直接やり取りをして借りてきたものがほとんどです。この空間は、岩崎さんが作り上げた島田市の戦争の記憶なのです」

 パンプキン爆弾が落ちた場所の近くにある「普門院」

●岩崎さん:「傷が残っている墓石がある?」
●住職:「これ」

 岩崎さんが大切にしていることは、戦争の爪痕が残る場所に足を運び、そこで暮らす人たちに話を聞くこと。戦争を「展示」するためには当時の状況を誰よりも深く理解する必要があると考えているからです。

●住職:「あそこですね、曹洞宗と書いてあるところ」
●岩崎さん:「破片が当たって穴が開いた場所ということですよね」
●岩崎さん:「この門柱はなぜ直さないのか」
●住職:「歴史の遺産ですからね、こういうことがあったよというはっきりとわかったほうがいい」

 住職が岩崎さんに見せた1枚の写真。パンプキン爆弾の爪痕を残した写真は博物館に展示してあるものとは別角度から撮られていました。

●岩崎さん:「こちらの写真は撮影されたのは?」
●住職:「これは広島の人(がアメリカからもらった)」
●岩崎さん:「アメリカが公開している(博物館にある)写真しかみたことがなかったので見られてよかった」

 新たな記録を現場で見つけました。

●岩崎さん:「パンプキン爆弾の投下を見た方にインタビューできて爆風に耐えて立っているイチョウの木を見てすごく驚いた」
●住職:「それがね、2つ説があってイチョウの木はここにまっすぐ立っているのがある。これだとあまりにも小さすぎるというのですよ」
●岩崎さん:「違うのかな…」
●住職:「証言として、松があったという証言があった。葉っぱをみると松のような気も…」
●岩崎さん:「そうですね、言われてみれば…」

 証言をつなぐ人の数とともに、事実は輪郭をぼかしていきます。だからこそ戦後80年のいま、岩崎さんは爪痕や写真などから読み取れる情報を集め、”戦争を紡いでいく”のです。

●岩崎アイルトン望さん:
「次の戦後90年戦後100年というのは今と全く違う状況になっていると思う。戦災にあった様々なものが語る戦争史というのは体験者の方が実際にされる証言と同じくらいの重みがあると思う。そこにこれから僕みたいな学芸員とか様々な方が言葉を加えて後世につないでいくのが大事だと思う」

島田空襲から80年 静岡・島田市博物館の学芸員が戦争と平和をテーマにした企画展を実施 父親はイラン・イラク戦争の体験者