「緑十字機」の海岸不時着から80年 平和を願う記念式典 静岡・磐田市
80年前のきょう終戦の手続きに向け降伏文書を運んでいた1機の飛行機が磐田市の海岸に不時着しました。20日午後、市内では記念式典が開かれました。
「黙とう」
20日午後、磐田市で開かれた式典。
「緑十字機」と呼ばれた1機の飛行機が磐田市の海岸に不時着して80年を記念したものです。

緑十字機が不時着
1945年8月15日、国内では玉音放送によって終戦が伝えられました。
しかし、国際社会では調印するまで降伏が認められず、当時のソ連が北海道に侵攻していました。
一日も早い戦争の終結が求められるなか、磐田市内の海岸で不測の事態が。
朗読「不時着したのは降伏文書等重要書類を沖縄県伊江島から東京に運ぶ途中の緑十字機でした」

地元住民が協力し軍使を東京へ
磐田市の鮫島海岸に不時着した機体には、マニラで降伏条件について連合国との交渉を終えたばかりの日本の軍使たちが乗っていました。
朗読「早く東京に帰らないと大変なことになる。勅使だ。勅使だ。」
協力したのは地元住人でした。
機体から重要書類などを運び出したあと、軍使たちを浜松基地へ送り、その後、無事東京に到着。
戦争が正式に終了し、ソ連の侵攻が止まりました。

平和宣言
式典には磐田市長や軍使の親族など700人が出席しました。
緑十字機をめぐっては鮫島海岸の海底に今も機体が沈んでいて、現在も民間の調査会社による探索が行われています。
草地博昭 磐田市長
「この緑十字機の価値というものを改めて後世に繋げていきたい。それは平和の価値というものでございます。そしてもう一つは戦争の愚かさと悲しさ」
式の最後には平和を願い沖縄県の伊江村、磐田市、浜松市による平和宣言が行われました。
