袴田事件 事件から57年間弟の無罪を信じ闘い続けた姉・ひで子さん(90)の思いは
袴田事件。再審初公判は27日です。拘禁症を患う袴田巌さんの今と姉のひで子さんの思いを取材しました。
袴田巌さん87歳。
2014年に静岡地裁の再審決定を受け、釈放されて以降浜松市で90歳の姉のひで子さんと暮らしています。
ドライブ出発
「いってらっしゃい」
今は支援者と外出する穏やかな日々。
支援者:
「巌さんが勝ち続けていたときは女性もボクシングしていた?」
巖さん:
「始めた人いるんだね。」
ただ、48年にも及んだ拘置所生活はあまりに長く、「死刑への恐怖」による拘禁反応は残ったままです。
支援者:
「新丸子は何があるんでしたっけ?」
巖さん:
「新丸子はボクシング袴田巌だ。もうできちゃっている」
釈放から9年半。
今も、現実と妄想が入り交じった世界にいます。
ひで子さん:
「妄想の世界というのは、聞こえないのか、聞こえているのか分からんけど、ともかく自分の世界へ入っている。そういう生活が続いている。」
57年間闘い続けたひで子さん
事件から57年。
ひで子さんも弟の無実を信じ、ともに闘ってきました。
ひで子さん:
「今までは見えない権力と闘っているようなもんだったのよ。(ゴールが)見えない。見えなったからやたら走っていた。ともかく、巖が無実だっていうことだけ皆に知らせたいと思っていた。」
袴田家6人きょうだいの5番目がひで子さん。
巌さんは末っ子。
母親が亡くなって以降、「自分が支えなきゃと」毎月のように拘置所の巌さんのもとへ、面会に行っていました。
ひで子さん:
「母親が世間を狭く生きるだよっていって死んでいった。警察に調べられるものはろくなものじゃないと思っているわけ。それで身内も諦めちゃう。そうはいくかよ。そうはいくかよだよ。」
ひで子さんが無実を信じられた理由。
巖さんからの手紙:
「私は無実です」
ひで子さん:
「4人も人殺して、何も変わらないことはないと思う。なんかはあると思う。それが全然変わっていない。巖の態度が。」
今年3月思い再審の扉が
長い間、世間から後ろ指を指されてきた2人。
そんな景色が大きく変わったのが、2014年の3月でした。
ひで子さん:
「もう能面みたいな顔して、どうしようもなかったけど。そんなことは問題じゃなかった。解放されたということが、ものすごくうれしかった。そこが一番の突破口。それからいい方にだんだん向いてきた。」
静岡地裁の再審開始決定を受けて、巖さんは48年ぶりに釈放されました。
それから9年後、今年3月に重い重い再審の扉が開きました。
これで決着。
Q初公判来週だが、実感は?
ひで子さん:
「そんなものはない。全然沸いていない。27日に裁判所行けばいいと思っている。(笑)」
再審初公判を目前に控えた先週の土曜日。
ひで子さん:
「もう1週間ですよ。1週間ない。」
ひで子さんの姿は、初公判前の最後の支援者集会にありました。
再審決定後、毎週のように全国各地の講演会に飛び回っているひで子さん。
伝えたいのは感謝の気持ちです。
ひで子さん:
「ともかく57年がやっと一区切りつきます。長い裁判で皆さんにもご心配をかけた。これで決着します。絶対いいお知らせができると思っている。」
「57年間 ひで子さんが伝えたかったこととは―」
ひで子さん:
「真実を真実を私は知りたい。余分なこというよりも真実を見ていただきたい。みんなこうして応援してくれているでしょ?それだからみんなが喜んでくれる。巖ばっかりじゃなく、みんなが喜んでくれる判定、決定が欲しい。」
再審・初公判は27日午前11時に開廷します。