「空襲の爆発音がいまでも耳に残っている」 小学生に語り継ぐ戦争の記憶
15日で終戦から79年が経ちます。静岡市の平和資料センターで戦争経験者が忘れてはならない記憶を次世代に繋げていました。
8月10日、静岡市葵区の平和資料センターで行われた平和教室。小学生の頃に戦争を経験した瀧宰明さん(84)がその記憶を語りました。
●瀧宰明さん:
「清水の街を明るく照らす焼夷弾が明るく、真昼のように空から照らしていました。」
1945年7月7日、清水の街を襲った27万本もの焼夷弾。B29の急襲にさらされ、死者は151人、清水の街は甚大な被害を受けました。
●瀧宰明さん:
「防空壕の中はカビ臭く、近隣の人と窮屈に身を寄せ合い息を殺して間もなく爆発音と地響きを感じ、爆発で舞い上がった土が防空壕の上に降り注いで『ボカーン!ズズズズズ!ぎゅーん!』その音が今でも耳に残っています」
当時瀧さんは小学校1年生。空襲により校舎の大半は焼失。毎日避難訓練や、食料の確保に明け暮れたそうです。
戦争から5年が経ち、小学6年生になった瀧さんは訪れた修学旅行先で、忘れられない光景を見たといいます。
●瀧宰明さん:
「お父さんやお母さんを失って、家族を失った6年生ぐらいの子が4年生5年生ぐらいの弟連れてそこへ立っていました。髪の毛は肩まで伸びて服はぼろぼろ。足は垢だらけ。裸足です」
戦争孤児の男の子が瀧さんと友人に声をかけてきたといいます。瀧さんの友人の手にはみやげ物店で買ったリンゴの形をしたプラスチックの貯金箱。
●瀧宰明さん:
「その浮浪児(戦争孤児)の子が「あんちゃん、そのリンゴ、おいらにおくれよ」その声が私の耳に記憶にまだ残っています。」
食べることのできないりんごの貯金箱。平和教室に参加した小学生たちは、戦時中の瀧さんや戦争孤児と同世代。凄惨な当時を語る瀧さんの話に真剣に耳を傾けていました。
●鍋田伸一君(11)小5 清水区:
「ガラスの貯金箱を食べようとしたところが心に残りました。」
「平和な世界になってほしいです。戦争のない。」
終戦から79年。世界ではまだ戦争が行われています。だからこそ瀧さんは平和の大切さを訴え続けます。
●瀧宰明さん:
「子どもたちが犠牲になっているし、高齢者や弱い者たちが犠牲になっている姿を報道で見ますけど、本当に悲しい。平和を構築するっていうことは若い方たちの未来へかかってると思います。」