「戦後80年~体験をつなぐ~」①戦争体験者の声を集め記録として残す~前編
今年は戦後80年の年、3月からシリーズで「戦後80年~体験をつなぐ~」をお送りしていきます。
1回目は2夜連続です。戦争体験者の証言を残そうと活動する人たちの思いに迫ります。
廣田繁雄さん:
「逃げると全部側は取り巻いている兵隊が全部撃たれちゃう」
中島勇蔵さん:
「戦争は人間をまひさせちゃうよ」
これらは、静岡平和資料センターが集めた戦争体験者の声です。
センターには「証言映像部」というセクションがあり体験者のインタビューなどを撮影し、記録として残してきました。
1989年から活動を始め、これまでに集めた声は100人以上。
センターの顧問、浅見幸也さん87歳。
幼いころ北海道で戦時中の苦しさを体験しました。
体験者の声を遺すことに大きな意義があると話します。
静岡平和資料センター 顧問 浅見幸也さん(88):
「証言をとったものを見てくれた方たちの声。特に若い人たちにということでやっていますので、証言映像を見て胸に打たれるというか。心に届いているということが彼たちの感想から感じた。文字や書物もあるがそんな中でも一番大事だと思っている」1
これまで多くの体験者の声を聞いてきた浅見さんは、中でも満州で旧日本軍が防御設備のトーチカを現地の人たちに作らせ、その後全員を虐殺した話が強く印象に残っているといいます。
2004年山下繁雄さんDVD映像:
「お酒をもらうごちそうもたくさんある」
「飲む、飲むと一緒に倒れます」
「逃げると 全部側は取り巻いている。兵隊が全部撃たれちゃう。哀れなことをやっていましたよ」
「一人もうちに帰すことはできないそうです」
「陣地だからばれちゃうからね」
静岡平和資料センター 顧問 浅見幸也さん(88)
「日本人が戦争で加害として被害だけでなく加害もあるということを証言者の話から強く印象つけられて、大変な経験をされた方。もう一度と思ったら体調を崩されて聞き取りができなかった。」

静岡空襲の体験者
石田和外アナウンサー:
「こちらがアメリカB29爆撃機から投下された焼夷(しょうい)弾です。静岡空襲の時にはおよそ1万発の焼夷弾が静岡の街を焼き尽くしました」
静岡空襲。1945年6月20日未明、静岡の市街地に焼夷弾が投下され、2000人以上の命を奪いました。
戦争を知らない奥脇卓也さんが、静岡空襲の体験談の中で、印象に残っているのが、防空壕での出来事の証言。
中島さんのDVDの音声:
1「本通の防空壕行ったら7人で死んでる。傷ひとつない窒息で。親が子供を抱いて死んでいる。こっちは何もかわいそうだと思わない。戦争は人間をまひさせちゃうよ」
奥脇さんの話
「しみじみとした感じでやるもんじゃないわなって言う。みんなおかしかった。でも当時は気付かない。今経験した人は少なくなっているんで、多分失われていって、また同じことを繰り返すんじゃないですね」
こうした戦争体験の声を残し、未来につなぎたい。
年間30人近くの体験を収録した年もありました。

1年8カ月ぶりに体験者の声を
しかし・・・
2020年、コロナの影響で活動は一時、ストップ。
2023年から徐々に再開したものの、戦後80年を前に今度は体験者を見つけるのが困難になりました。
静岡平和資料センター 顧問 浅見幸也さん(88):
「生きている方が100歳近いですから、話してくれる方が少なくなってきていると」
戦後80年の節目を前に活動が停滞する中、久々に戦争体験者の生の声を聞けることになりました。
2人のやり取り
浅見さん:
「どんな風に聞けるかそれが心配。101歳の方なんで」
奥脇さん:
「多分話し始めたら止まらないと思いますよ」
証言映像部として体験者の声を聞きに行くのは、2023年6月以来、実に1年8カ月ぶり。
インタビューに応じてくれるのは静岡市に住む100歳の女性です。
女性が語る「戦争体験」とは・・・・
