元祖「二刀流」ベーブ・ルースのサインボールが草薙球場に寄贈 ボールに込められた想いとは?

メジャーリーグで17日、50本塁打、50奪三振を達成した大谷翔平選手。こうした活躍で再び脚光を浴びたのが元祖「二刀流」ベーブ・ルースです。そのサインボールが草薙球場に寄贈されました。誰がどんな想いで届けたのでしょうか。
●石田和外アナウンサー:
「今から91年前、この草薙球場で当時、17歳の沢村栄治はアメリカ・メジャーリーグの伝説的な強打者、ベースルースを見事封じたといいます。そのベーブルースが書いたというサインボールが今、草薙球場にあります」
8月、寄贈されたサインボールは球場で厳重に保管されていました。
●石田アナ:
「こちらがベーブルースのサインボールですね」
「手袋をして触らせて頂いていいですか」
「確かにベーブルースとありますね ボールもかなりきれいな状態ですね。歴史の重みを感じる」
1934年草薙球場で行われた日米野球第10戦。日本は17歳の沢村栄治が先発。ベーブルースを始めとするアメリカの強打者から9つの三振を奪いわずか1失点。1対0で敗れたもの沢村の快投は、日米に衝撃を与えました。
サインボールには、ベーブ・ルースとともにヤンキースで活躍したスター選手、ルー・ゲーリックのサインも書かれています。
●草薙総合運動場総務 笹瀬 進さん:
Q「球場に寄贈されるということを最初に聞いた時どう感じた?」
「本当に驚いた」
「全米チームが来た時にベーブルースがナンバーワンの人気スターだったので」
「信じられない 本当にびっくりしています」
ボールを寄贈したのは、焼津市に住む鷲野優子(72歳)さんです。
●鷲野優子さん:
「私にとっては父の形見というか」
「前日はお墓に行って、持っていくからねと言って話をして私の中で区切りをつけた」
鷲野さんの父、満之助さんは1934年、静岡商業でピッチャーとして春の選抜甲子園に出場。この大会には同学年の沢村栄治も京都商業のエースとして出場していたといいます。
石田アナ:「同じ大会に沢村投手と同じピッチャーとして出場していたんですね」
鷲野優子さん:「そういうのがあってたまたまそのあと静岡球場で再会というか」
草薙での日米野球はその年の11月。沢村栄治が快投を演じたこの試合で、満之助さんはボールボーイを務め、その時にこのサインボールをもらったというのです。
●鷲野さん:
「ボールをもらったことによって父の野球人生の始まりだった」
満之助さんは、高校卒業後、専修大学に進学し野球部で活躍。その後指導者の道に進み母校静岡商業の監督として1952年に春の選抜優勝。62歳で亡くなるまで生涯を野球に捧げたといいます。
満之助さんが亡くなって46年、今回の寄贈は、息子や孫たちと相談して決めたそうです。
●鷲野優子さん:
「歴史のあるボールだったら僕たちも見たいけど(他にも)好きな人はいると思うから、おじいちゃんは草薙球場に縁があって頂いたものだから、返すというか収まればいいのではということになって、全員がそうしようってことになって」
「(ボールを)見てこういう(父のような)人間もいたってことが分かっていただければ私としては良かったと思って幸せに思う」

サインボールは、草薙球場での年内の公開を目指して準備を進めているということです。
●草薙総合運動場総務 笹瀬 進さん:
「多くの方に見てもらいたいと思う。これから展示方法を考えて貴重なボールなので」
野球界の歴史に残る名勝負が演じられた草薙球場。サインボールはその対決をよりリアルに蘇らせてくれているようです。
