「戦後80年~体験をつなぐ~」学校の歴史をつなぐ高校生 浜松市・西遠女子学園

シリーズでお送りしている「戦後80年~体験をつなぐ~」。今回は、学校の歴史をつなぐ高校生を取材しました。
生徒会長 新村彩乃さん
「いま私がこうやって西遠という学校で平和にずっと笑って過ごしていられるのも当たり前じゃないし、感謝しないといけないと思った」
浜松市の西遠女子学園に通う新村彩乃さん、高校3年生。この学校の生徒会長です。
太平洋戦争中浜松市は27回の空襲に見舞われました。
栗田アナリポート
栗田麻理アナウンサー
「正門から入ってすぐのところに殉難学徒慰霊像が建てられています。80年前、西遠女子学園の生徒は学徒動員令のもと市内の軍需工場で働いていました。」
1945年4月30日と5月19日、学徒動員として軍需工場に働きに行っていたこの学校の生徒29人と教員1人が空襲で命を奪われました。
西遠女子学園では毎年空襲があった5月に生徒会が主催して、犠牲になった先輩たちをしのぶ慰霊式を行っています。
生徒会長 新村彩乃さん
「これはなくしてはいけない行事だし、この行事を学校外の方にも知ってもらうことで戦争や平和について考えてもらう機会になればと思う」

生徒登校
慰霊式当日午前7時半。
生徒が一人一輪ずつの花を持って登校してきました。
授業が始まるまで式の準備を進めます。
Q毎年このくらいの花が集まる?
「今年は多い。新しい試みで外部の方からもいただいているので、お花屋さんとか遠くのお花屋さんとかも届けてくださって」
今年は戦後80年という節目の年。
これまで以上に意味のある式典にしたいと近所の人や同窓生にも献花の協力を求めました。
新村さんも生花店と交渉して売れ残った花を提供してもらうなど、生徒会主体で準備を進めてきました。

大庭知世校長
なぜこの式典に力を注ぐのか。
学校独自の“風土”が影響しているといいます。
大庭知世校長
「命を大切にすること。そして戦争ではなくて、話し合い。武器ではなくてペンをもっている世界の大切さを私はこの慰霊式を通じて、それから西遠での日々を通じて生徒たちにわかってもらいたい」
この学校では、毎年春休みの宿題で生徒全員が戦争に関する作文を書きます。
“戦争からの学び”を重要視しているのです。

遺族の手紙
午前11時15分式が始まりました。
校長が手紙を読み上げます。
送り主は空襲で亡くなった生徒の妹でした。
大庭知世校長
「5月19日、あの日の朝は曇りで、黒い雲が空を覆っていました。防空ごうに入った動員学徒と引率教員。その防空ごうのすぐ横にある水道の管に、米軍機の落とした爆弾が命中したのです。盛り土で頑丈に囲まれていた防空ごうは崩れ落ち、動員学徒の方々と先生は泥水に埋まってしまいました。空襲警報が解除されたときにはすでに声はなく、皆さんは息絶えていたそうです・・・」

生徒会長 新村彩乃さん
そして、新村さんも壇上へ。
生徒会長 新村彩乃さん
「平和宣言。ひとつ、世界平和の到来を信じ、争いを世界から根絶していく意志をしっかり言葉を行動にできる人として、私たち浜松の若い力が小さな努力を続けていきます」
この学校の生徒が戦争で命を落としたという事実を風化させず、学校行事として悼み、戦争と向き合う。
80年経っても、その“重み”は変わりません。
生徒会長 新村彩乃さん
「いま私がこうやって西遠という学校で、平和にずっと笑って過ごしていられるのも当たり前じゃないし、まずは第一歩として今年度行ったことを後輩に伝えていって、今世界中にある戦争について知って、少しでもなくしていけるような貢献をしていきたいと思う」
